ストラーダ's blog

とある大学で史学を専攻しています。主に西洋美術、近現代史(フランス)、世界遺産、脳科学のアウトプットをします。

なぜ人は孤独を恐れるのか

 

なぜ人は孤独を恐れ、集団に依存するのか。

 

まず、思い出さないといけないのが我々人間は動物であるということであり、動物は基本的に群れをつくって行動します。

何故なら、集団で行動することで様々なメリットがあるからです。

 

例えば、ライオンはメスが集団で扇形に散らばり、獲物に忍び寄って狩りをします。

チスイコウモリは動物の血を吸うことで腹を満たしているが、時には狩りに失敗することもある。

なので、余分に血を吸ったコウモリは血を吐き出し、仲間に差し出すのである。

もし、このコウモリが仲間に血を差し出さなければ集団から排除され、最終的には絶滅に追い込まれるだろう。(何故なら協力しないコウモリだらけになるから)

 

これは人間でも同じで、友達に何かいいことをしてもらった場合、お返しをするのが筋であり、それを怠ると関係は悪くなっていく。

 

集団

これが集団になると更に複雑になります。

例えば、家族という集団と大学という集団があって、その人にとってどちらも大切なコミュニティです。

家族の政治に関する考え方がその人の考え方になっていますが、大学生になることによってそのコミュニティで生きていくためには、大学というコミュニティの政治に関する考え方を尊重しざるを得ない状況に陥る。

これを「準拠集団」かつ「同一化」と言います。

何らかの転機を迎えることで、性格が変わるのはこれが原因です。

 

自然界の人間はあまりにも弱い

自然界における人間は、鋭い牙も、大空を飛ぶ翼も、頑丈な甲羅ももたない、いわば身体的劣等性を抱えた存在です。だからこそわれわれは、集団生活を選び、外敵から身を守ってきました。集団で狩りをして、農耕に従事し、食料を確保し、身の安全を守りながら子供を育てて生きてきました。

しかし、群れをつくるだけであれば、ほかの多くの動物もやっていることです。

 

分業

われわれ人間はただ群れをつくったのではなく、人間はここで「分業」という画期的な働き方を手に入れました。「分業」とは、人類がその身体的劣等性を補償するために獲得した、類まれなる生存戦略です。

 

例えば、弓矢をつくる名人がいたとします。彼のつくった弓矢を使えば、命中率は格段に向上し、殺傷能力も高くなる。しかし、彼は狩りの名人ではない。足も遅くて、視力も弱く、せっかく立派な弓矢がありながら、狩りがうまくいかない。

ここで、「分業」です。

彼は弓矢づくりに専念することで、一日に何十本の弓矢をつくることが可能です。

そして、それを狩りの上手な仲間たちに配れば、彼らは今まで以上にたくさんの獲物を仕留めてくるでしょう。

あとは、それを分けてもらえばいい、それがお互いにとって最大の利益となるからです。

 

信用と信頼

この分業を行うには、信用の関係ではなく信頼の関係で行っていかなければならない。

信用とは、その人自身を信じるのではなくその人が持つ担保を信じるような関係です。

信頼とは、その人を無条件に信じることです。

 

要するに、人間は一人では生きていけない、孤独に耐えられないとか、話し相手が欲しいとかいう以前に、生存のレベルで生きていけない。

そして他者と「分業」をするためには、その人のことを信じなければならない。

疑っている相手とは協力することが出来ない。ということです。

これをアドラーは「人生のタスク」と呼びました。

 

われわれ人間は常にこの人生のタスクに直面していて、逃れることはできないです。

これが全ての悩みは人間関係であるといわれる所以です。

 

まとめ

太古の時代、人間は常に外敵から守るため集団で生活をしていた。

高度な文明を築くことを可能にしたのも、互いに協力を行うような相互関係を築いてきたからです。

逆にいうと、一人の人間が高度な文明を築き上げるのは何年かけても不可能であり、その前に人間は絶滅するでしょう。

 

それは現代社会でも同じであって、孤独は死を意味します。

 

 

 

参考文献

 

 

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

 

 

利己的な遺伝子 40周年記念版